前回の記事同様。書くことがないので「これ、多分受けるな」というネタを書きます。本当はあまり、書きたくないんですよ。なんか、はてなブログに消されそうなので。最近、どれもこれもその辺厳しいじゃないですか。某YouTubeは乳首出せませんし。というか、乳首一つ出せないってどうなんですか。考えてみてください。ボディービルの大会で出場者全員が乳首にテープ貼っていたら変でしょ?でも、YouTubeではやらざるを得ない。ルールだから。松本人志くらい、乳首のY軸がずれていたら別ですけど。
この前、YouTubeでボディービルの動画を見たんですよ。やはり、ルールに従い乳首にはモザイクがかかっていました。黒い肌の下、筋肉を躍動させ、生を全身で表現する男たち。その下に小さなモザイク二つ。
正直、面白かったです。うん、面白かった。変というか、時代はここまで来たのかってガン見して実感しました。もう感動ですよ。感動すぎる。
さて、私は何を書いているのでしょうか。小学生の頃、言われたんですよ。「思ったことそのまま話すな」って。それから十年ちょっと、またやらかしています。図体ばかりでかくなって、思考がまったく進歩していない!よくない!本題に移ります!
時は、昭和50年代くらい。叔母は中学生だった。クリクリとした目に、色白の肌。同年代と比べるまでもなく、小さな体。ハツラツとした性格。モテそうな要素を持っていた叔母は、全くモテなかった。それどころか、一本線を引かれたような扱いを受けていた。何故か。それはドヤンキーだったから。どれほどヤンキーだったと言うと、車に轢かれても祖母以外誰も心配しなかったほどだ。
先に叔母がグレた原因を書く。わからない。以上
勘の良い人ならわかっているだろうが、叔母が小柄であったのはシンナーのせいだ。シンナーには、神経を麻痺させる効果がある。そのため、身長を伸ばすのに感度マックスにしなければいけない神経まで麻痺させてしまった訳である。
小さな体に喧嘩は似合わなかったのだろう。殴る蹴るの喧嘩を叔母は一切しなかったそうだ。代わりに、口喧嘩は何度もしたらしく、今でも滅法強い。怖い。
叔母は昔、幼稚園の先生をやっていた。その時に案の定、モンペが来た。何人も。そんなモンペ達へ叔母は、理路整然にマシンガントークをかましバッタバッタとやっていったのだ。つまり、最強だった。
ここだけの話。園長からボーナスをこそっと貰ったらしい。
今現在。叔母は特別支援学級の教諭をしている。まぁ大変らしく、百戦錬磨の叔母でもコテンパンにやられているそうで、久しぶりに会った際かなり体重が増えていた。
叔母が相手にしているのは軽度から中度の知的障害を持つ子供達だ。話が通じないと思いきや、変なところで伝わるらしく下手なことを言えないそうだ。そうしないと、相手が勘違いでえらいことをしでかすかもしれないから。
やはり、分かり合えても、かなわない人間は大勢いる。